大師役小角一代 その5

唐に渡る舟

一月十六日、摂津国の箕面山に登り、国別くにわかれの護摩修法す。

一月三十日、舟上山に登り、唐土への安着を祈り、護摩修法す。

二月十七日、長門浜に到る。

二十六日。彦山に登る。この時、教順僧にあいて、長路の身体をやすめぬ。時に教順曰く「近日、天神怒りて海荒れぬ。漁夫に聞くに、遣唐使困苦するも、渡唐の海路、天空晴浄に至るは近からず。待ち給え。」

小角は大いに喜びて、摩訶經一巻・舎那密印を教順に伝授す。教順は大いに喜べり。

二月三十日、日向の高千穗峰に登る。豊秋日本国天神・地祇神に離国・わかれの護摩修法をなす。

三月十七日、肥前の平戸嶋に上陸。舟守の彦麿に頼りて唐に渡る舟あり。

三月二十一日、松浦の先勝より舟出す。

役小角の一行は、前鬼・後鬼・唐小摩・大祥・小祥・空梅・大角・大日・照覚・法神・貞空・仙界坊等の十三人也。又、法藏の一行は、法力・不壊・薬師・法忍・道照・空心の七人也。

海路は西方遙かに向い、流星の如し。然れども、夕刻に黒雲、丑方に現れ、風波興りて荒れ、雷は打ち降り、海神大いに怒りたり。

その時、法藏・法力坊一行の舟ぞ、波間に沈みにけり。この時、小角は舟先に立ちて波間に飛込まんと欲す。小摩はこれを狂氣の如く呼び留めり。小角曰く「豊秋国の神、我が離国を留止せんと欲す。南无なむ大竜神、願わくば我等を救い給え。我等を捨て給う可からず。」小角は是に、摩訶如来像・藏王像二体を海中に落したり。

その時、不思議なるかな、風止みて海浄かになれども、舟は自由を失い、舟柱は折れ、浪舟流れ潮に乗りて、西方より寅方に向いて浪漂せり。

三月三十日。身命は様々にて、若狭国の常神浜に漂着す。身体をやすめ、川野浦の魚夫なる市彌の魚舟に乗らんと願えり。

四月十二日。更に海路を北方に進め、越中の大岬に上陸し、立山に登る。法藏坊一行を供養す。一同泣涙せり。

四月二十一日、更に陸路北方に進み、彌彦山に至り、関上山に登る。

四月三十日。上旭山に至れり。更に北方、羽黒・月山・湯殿山に至る。体をやすめたる時、唐小摩は国字を以て、大日経及び修験大要・摩訶経密伝・仙術密書等を書せり。時は、五月十七日なり。

五月二十日、三山に登り、奥州の楠浦に至る。寒山浜より出舟、海路北方に進めり。

五月二十六日、国末内海に至れり。

国末の石化嶽

大宝辛丑の五月二十七日の朝、豊秋国北方、国末の石化嶽泉崎に漂着す。この時、荷負人なる前鬼は、長旅の疲れより入寂せり。役小角は悲涙して、石化嶽の夷人墓に埋め、陵墓に大悲阿弥陀経を誦して法名を神通自在三宝守前鬼神とて授けたり。是に於いて、後鬼は大悲泣す。

役小角、後鬼の頭を撫でながら慰めてえり。

「悲しきかな。而して、娑婆には會者定離えしゃじょうりの苦しみあり、我等とても何時なるか、是くの如き亡滅の日は遠からず。光陰は早く来ぬらん。死にくとも、輝光国きこうこくに昇天し九品上生し、玉敷の玉台に至り、又、阿𧂭多羅三藐三菩提を得て、娑婆に再来せん。その霊や不滅なり。是れを无上むじょう道と定む。只一向に佛を念ずる可し。」

この時、後鬼は涙ながら曰わく「我が夫は、有難くも三宝に依り、恩師の御手に施されて、往生極楽せし事、幸いなり。」小角、喜びて曰く「善き哉、善き哉。汝等、皆我が修験宗の佛子なり。」

小角、茲に門弟一同に向いて曰わく、

會者定離えしゃじょうりは常にして、まことに苦しき憂き世なり。我が宗祖の阿羅羅迦蘭仙人、栴檀せんだんの煙とても免れ給まわず。独り来りて、独り往生するなり。死するに、誰か相伴なわんや。末のつゆもとあめとは、前後なるもの。先達も共に終りて、同じ道を往きしのみ。是れ、今に始むる事ならず。終老にのぞみて、命を一蓮の生に託し、未来に阿𧂭多羅三藐三菩提を得んとするなり。世の榮華は是れくう。多年馴れ睦みし者とて、飽きて別れる。臨終を悲しみ、終夜を明るくし、流れる石をいだかんとしても、煙の跡は氣はまばらにして、野辺の草の露は哀涙を誘い、煤は其の人の名を残すのみ。行く駒は影をげきとどめず、須臾しゅゆとどまらず。早くも光陰は移りて老いを事とす。我が身は、国末の石化嶽夷人国に於いて、雪頂山を臨終りんじゅう正念しょうねんの地と定めん。未來に九品上生の玉台に到りて、阿弥陀如来と半坐を分かち、一蓮生託して即身成佛をなさんとす。汝等、是の地を唐土と想いて、修験宗の大道を守る可し。」

五月二十九日。大祥・小祥は共に一宇の草堂を建立す。一時持参せし佛像金剛不壊摩訶如来、渡来本尊佛の体を安置せり。

時に、此の地の夷人、語るに和語を用いるなり。小角は不思儀なりとて其の内訳を夷人に尋ねたり。夷人答えて曰く「是れ皆、荒吐神の教え給いし、有難き神語なり。汝等は、我等と同じ神語を用いたる、仲間なり。汝等、魔神山の活神いきがみに相違すること御坐なかれ。」小角は、益々不思儀に想えり。

六月九日。石化嶽の夷人酋長、尋ね来たりて、草堂に米塩等を献ず。更に住屋一堂を献上せり。小角は大いに喜びて、皆をその堂に移せしむ。息棲せる夷人は、荒吐神の礼拜と称せり。

六月三日。行来山、火焰を吐きて大震動す。内なる海出現して、新しき島多数あり。この時、死者多し。

六月二十一日。更に行来山、火焰を吐きて地は震動す。この時、田道墓守りなる翁、落木に打たれて入寂す。小角、大いに悲しめり。大祥に清水谷に埋葬して供養せしむ。

六月二十八日。北海より名を知ざる夷人漂流せり。大角、是を救う。北方の海沖に大嶋在るを知る。

六月三十日。空梅、梵天山に登りて荒吐神像を持ちかえりぬ。この時、小角は大いに喜べり。

荒吐神

酋長を呼びて荒吐神の大要を尋ぬるに、夷人の酋長曰く「国末石化嶽の荒吐神は、大力を得る守護神なり。太古より石化山の仙頂に於いて祭られし、石化嶽夷人等の信勢大なるもの。岩石を以て刻みたる、長身二尺六寸の尊像なり。形想は忿怒の相、両足は大蛇を踏み、右手に剣を握り、左手には鞘を握りて、大猛たる像なり。一度是を拜さば、大力即ち心力・身力・眼力・耳力・命力を得て、貧苦をこらえる力・孤独を怺る力・怒りを怺る力・勇猛に振舞う力等を得るなり。皆是れ、神霊の力なり。」

役小角は、心中に深く敬礼をなし、夷人を侮りいたる我が心を知りて、皆辱じて懺悔、不動経を誦しぬ。

大宝辛丑の七月一日。役小角、菩提岩を以て金剛如来化身佛・金剛五佛・藏王等を刻めり。

七月二日。ここに、役小角は唐小摩を呼びて、一代去歴摩訶経等を口説す。小摩は国字を以て是を記せり。

七月五日、後鬼、大和国に皈郷ききょうす。

七月十日、大祥・小祥は共に八頭山に登り、 国末の地面を著せり。

十七日。小角の弟子一同、悟法楼に於いて宴を開設す。酒宴を促し、盃めぐりて、小角曰く「御酒三杯を、これ赦さん。嗚々ああ、我老いて、御酒を拜受し、法囉を吹きて憂嘆を消さん。」

七月十九日。空梅、大熊を得て取り止め、其の皮を以て法座を作りぬ。小角大いに喜べり。

七月二十一日、夷人酋長入寂す。

七月二十六日。荒吐夷人、兵を以て、飛竜夷人と爭乱せり。

七月三十日。勝ちたる荒吐夷人は、遂に喜びて踊舞す。荒吐神境内を開き、鹿獅子舞を奉納せり。雄鹿獅子の中に老鹿獅子・雌鹿獅子あり、猿を以って三山𡸴岨を案内せしめ征服致す武舞なり。小角は大いに喜びて是を観れり。

八月二日。天海は、仙薬草十五種を立法山の道場辺に植えけり。

八月五日。役小角は、夷人に稲田作を教えたり。

八月十日、火生三昧を行ず。役小角は、日を追って身体燋焠し、漸々に飯食も廃衰すと見え給う。門弟一同は大いに心痛す。

八月十五日。あまねく天に加持祈禱することあまたなるも、何の効をも奏せず、小角は只弱るのみ。

八月二十日。役小角、不思儀にも全治せり。

二十一日。役小角曰く「我は、汝等皆を修験宗仙術教に至らしむ。我は死なず。」小角は口中に呪文を唱えて、白雲を呼びて其の雲に乗りぬ。弟子も共に皆その雲に乗りて、飛行術を得たり。

小角の身体は以前と変わらず、強き体に還り給えり。小角が弟子に仙術を教えたる事は、是が初めてなり。小角曰わく「汝等、今よりは我が分身なり。後にして、汝等が是の法を忘れし時には、千日万日の苦行も空となりて落ちるなり。」

八月三十日。小角は小摩を呼び、告げて曰う。「汝、若し我が涅槃の後は、門弟一同とも、大和国には還る可からず。」小摩曰く「安心致す可し。我等は皆、此所を入寂地と決定致したるなり。」

九月一日。後鬼、立法山に皈山きざんす。大和国大峰山に残りおりし坊十人、来山せり。天山坊・香仙坊・阿閦坊・藏王坊・法隆坊・金剛坊・雲上坊・大海坊・天竺坊・法薫坊等なり。この時、小角は大いに喜びて曰く「汝等、皆我が子なり。」

生身の阿弥陀佛

九月七日。生身しょうじんの阿弥陀佛に拝會はいかいせんと欲し、役小角は諸経を誦して、断食苦行に入れり。

其の夜、阿羅羅迦蘭仙人、現れて忽然として曰く、

われ、西国より来たれり。吾は、汝を輝光極樂に導進せんが為に、此の堂に来たれるなり。汝の修験宗大願は成就せり、満足致す可し。汝は今より遠からずして、阿弥陀如来の来迎を受けん。亦、汝の輝光国に往生せん時には、再び吾と会う可し。」

去りて行かんとする仙人に、其の法衣を留めて「我が大願を叶え給え。頼りて、生身の阿弥陀佛に拝會せん。成らせ給え。」

この時、仙人、忽ちに端嚴微妙たんげんみみょうなる佛身へと変化致し、正座にして光明あり、音樂は虚空に響きて、蓮華花は舞い落降す。異香芬郁ふんいくとして、光明は八方辺を照らせり。佛、小角に曰く「汝は吾と同位なり。善き哉、善き哉。なんじ勉める可し。」

りて去り、坐中より観れば、如來は金雲に乗りて西のかた消え去りぬ。小角は御後に伏拝し、は随喜の涙そでに満ち、渇仰して生身の阿弥陀佛と拜會致し給えるなり。

九月十一日。役小角は大祥坊を呼びて、病難除秘法・夢判断等を教えたり。

十三日。役小角は酋長を呼び、養蚕法・麦作法・稲作法・稗作法・豆作法・大根作法・種蒔法・魚穀食法・衣作法・魚取法・酒作法・男女縁相法・家作法を教え給えり。

九月十五日、小摩は、孔丹僧を供養す。

十七日、役小角、断食行を終えたり。

生身火葬往生

十八日朝。金剛不壊摩訶如来、現れて曰く、

なんじは、往昔おうせきの迦葉・阿難よりも説法はなお優れ、釈迦よりも霊験に優れたり。汝は、開悟するに残す所はし、満ち足れり。汝の涅槃の時には、吾、大日・阿閦あしゅく・藥師・阿弥陀如来等を遣わさん。吾はもと、参捛を得たるなり。小角、宜しく謹みて傾掌九拝せよ。」

「我如き凡夫は、肉眼の目前に、如来の真身に拝会を得て、身心を事とせば、言は及ばずして只耳に聞くのみ。」と申して如来に答え、何時いくときかの間をついえしむ。

九月二十日、天竺坊、正法山に入山す。

二十三日、役小角、初めて魚肉を食す。

二十八日、小摩・小祥は共に金剛摩訶経三巻を作り給えり。

十月一日夜。役小角は小摩を呼びて、日本神道大要を説き、小摩は国字を以て是を記せり。

十月五日。金剛岩を以て、五輪塔婆三隆を作れり。第一は上宮太子、第二は行基、第三は千代君等。回忍塔なり。

十月十日。役小角は石化嶽に於いて悪魔降伏の護摩修法す。

十月十七日。役小角、弟子を集めて曰く「我等、此の地をば佛国と想う可し。大和国には還る可からず。若し我に逆せる者あらば、我は変化して其の者を誅縛致すなり。」

この時、小摩曰く「安心有る可し。誰一人、師に逆せず。共に皆、国末津刈石化嶽を霊と為し、末世の凡夫を化度せん。」小角は大いに喜べり。

十月二十日。役小角は、犍陀羅佛・比摩番陀佛・大唐佛等を修験宗大本尊と号せり。

二十三日、大要護摩修法す。

二十八日。役小角は重疾にして、漸々に食吐き飯呑みて身体は憔悴し衰えて見え給う。

十月三十日。役小角、身弱りながらも清泉に於いて六根清浄、神に向いて拜するを怠らず。

十一月。日を追うて益々身体弱くなるのみ。小摩は大いに心痛し、涙ながらに曰く「我は、御師より老いを増せる命なり。今先に事を発せん。」とて悲みたる時、小角は大いに怒りて曰く「汝は、元、我が師なり。諸行はつねしと教えしは汝なり。」悲しいかな、小角、これ最後の怒りとなりにけり。

十一月八日。夷人は小角に供し、大いにいたみて心配し、獣皮及び果物・米・干魚等を献ず。小角は大いに喜べり。

十一月十二日。自身の終焉の期を知りて、洗浴・六根清浄・盥嗽かんそうす。目前に浄土の微妙なる荘嚴を拝して、西方に向いて讀経・端坐合掌、往生の刻を待てり。

十一月十五日、未だ死せず。門弟一同は、あまねく天に加持祈禱することあまたなれども、何の効をも奏さず。小角は益々憔悴し、果して食飯は廃し給えり。

十一月十七日。小角は小摩を呼びてえり。「汝、我が亡き後、宜しく勉む可し。本地垂跡の本願を忘るる可からず。」小摩は謹しんで拝聞す。

十一月二十日。役小角、阿弥陀経を誦す。未だ死せず。

二十三日。門弟一同を呼びて曰く「汝等、我が亡き後は、老命終りなば輝光国に参る可し。暫く現世に残りて勉む可し。」

十一月二十八日。小角は火生護摩修法をせんと欲し、枯木を集めて往生せんとす。大祥・小祥・大角坊、共に是をとどめたり。

十一月三十日。役小角、夢を観ながら涙泣るいきゅうし、亡き親母の慈愛の事を独り言いてあり。

十二月一日。小角、益々身体憔悴し、立ちて歩くを得ず。

二日。小角、火中往生を欲す。小摩、是を留む。

三日。小角、死期近きを悟り、小摩を呼び、秘なる藏王剣・王鏡・王玉等を渡せり。

四日。更に小摩を床近くに呼びて、修験宗の渡来本尊三佛像を、我が身と共に埋葬致す事、頼みたり。

五日。門弟一同を床近くに呼びて、苦しみながら曰く「我は近日、涅槃に入らん。汝等、佛告を護り、我が入滅後は、輝光国に尋ね参る可し。汝等、悲しむ可からず。我死すとも、霊山に於いて常に汝等を化度致さん。」

六日。小角、小摩を呼びて、二代仙人位、秘経を授けたり。小摩、謹しんで拝受す。

七日。小角、床元に小摩を呼び、大乗修験宗起源経・豊秋日本神国起源大要等を説く。是に於いて、小摩は是を書せり。

八日。小摩は茲に、小角の床元に渡来犍陀羅佛一光二尊像・末闡提作比番陀佛・大唐佛三像を安置す。小角、喜びて諸経を誦せんとするも、小摩以下皆が是に代われり。

九日。小角、息苦しく、言うこと全くまれとなりて、言わずして合掌拝するのみ。

十日。小角は大病全治せるが如きなり。立ち歩きて、大祥を呼び、護摩檀を作らしめ、枯木を集めしむ。夷人達は大いに喜べり。

十一日。役小角、護麾大要を修法す。突如、諸佛名号を唱えて大火中に飛び込めり。小摩・大祥、大いに駭きて消火せんと欲す時、火中より声を聞けり。「汝等、師の往生を留める勿れ。汝等が、我を慕いて千萬部にまさる経を事とせば、優れたる萬足なり。汝等、暫く現世に残り、我が後生前生ごしょうぜんしょうを祈る可し。」

遂に大宝辛丑年十二月十一日午刻、生身火葬往生し、涅槃に入れり。

門弟、泣涙しつつ、御師の御骨を金舎利壺に納め、大いに供養し、立法山修験宗大師墓清水谷に埋葬せり。

大師役小角、いささかも御悩みく、大往生し給えり。其の御臨終のみぎり、虚空に音楽を聞けり。蓮華の花舞い落ちて、天女虚空に現れり。阿弥陀如来来迎し、安養浄土に昇天迎接し給いたるなり。

大宝辛寅四月十一日。大師役小角仙人の菩提の為め、渡来本尊と共に、泣涙を以て、国末雪頂山石化嶽に再埋葬せり。六月十一日乃至ないし十二月十一日、追善供養をなせり。

小摩仙人
大祥仙人
小祥仙人
大角仙人