大師役小角一代 その3
金剛不壊摩訶如来
十一月。
白鳳壬申。役小角、最も高き大峰の𡸴岨に登れり。断食苦行すること百日を過ぎて、未だ下山せず。更に百日、苦行す。時に、役小角、未だ開悟せず。神眼岩に於いて荒岩の金剛坐を作り、諸経を百日間誦し、夜昼勤行す。鬼神の如くあり、身体は骸骨に同じなり。
十一月一日夜。虚空に七色の光明現れ、伎楽天女の精なる讃美歌、幽かに来たれるを聞けり。蓮華の花舞い降り、虚空に
「汝の苦行は、諸仙の仙人行にも優れたり。天竺・唐土の佛陀も、汝の験に及ばず。諸佛は天竺・支那に
輝光極楽には七重の
また、極楽には、奇妙なる
小角、合掌九拝して、奏上す。「我如き凡夫は、
この時、四辺は七色に輝照し、金雲の上に現れたるは、大日如来・阿弥陀如来・
小角、夢の如き実相を大いに喜び、その尊身を刻まんと欲す。𡸴岨大峰を下り、飛鳥の都に至りぬ。佛師なるは、鳥孫頼の仆利・玄理の両人とせり。この時、仆利仏師は百十九歳の長命なりし。又、玄理は八十二歳の老人なり。両人は、全身の心力を以て千刀造作す。然れども、仆利は荒刻の内に命を亡くせり。時は、白鳳癸酉の四月三十日なり。
金剛藏王権現
五月、大和国の當麻寺に、役小角は田畑地を奉納す。母千代君尼の住む寺なり。
十月、小角、飛行術を感得す。大唐の竜虎山道士、亜司、来朝す。道教木火土金水陰陽伝法書を、役小角は受けたり。
甲戌の一月元日。役小角、更に諸山の𡸴岨苦行を欲す。山城国の鷹峰に向い、行檀を鷲峰山に構え、金胎寺を開けり。この時、小角、衆生の三世救世の為めに、諸佛に祈念すること十七日間。夜昼に忘れることなく諸行を誦すること満七日目の暁に、六道地蔵菩薩、現れたり。
小角、大いに怒りて、「箇様なる柔軟な相では、末世の慾悪に、化度し給うことを得ず。消え去る可し。」捉えて
役小角、その後十七日間、諸経呪を誦せり。時に、弥勒菩薩現れたり。小角、亦怒り、利剣を以て
小角、再び大峰の大𡸴岨に登り、立行・眼瞳・歯食切をなすこと三十一日間、諸経及び仙術呪を誦すること六十日間。孔雀王呪をなせる時、金剛不壊摩訶如来、現われたり。
同じ時にして、𡸴岨の最大なる奇岩、大音響と共に摧落す。四方に土煙発し、溟濛たる闇に稲妻大震動なし、谷間谷間に山鳴あり。山々の大巨岩は碎け、落乱すること長刻の間なり。
次にして、薄闇となりて鳴動は止み、忽然と天地の闇の寂浄となる時、雲際に
小角、大いに喜びて九拝し、「この末世濁悪の凡夫を化度し給う本尊なり。」柘楠木を以て尊像を刻み、金峰山の釈迦窟に安置す。日夜に勤行敬拝せり。時に、唐小摩も大いに喜び、修験宗本地垂地現明一巻を書き記す。時は、白鳳乙亥の四月十二日なり。
諸山苦行
五月一日。役小角・小摩・大祥・小祥・大角、共に諸山苦行に出ず。
五月十日、近江国御在所山、三国岳に登る。
五月二十一日、美濃国に穗高山・大天井岳に登る。
六月七日、四阿山・浅間山に登る。
六月二十一日、荒船山・甲武信岳に登る。
六月三十日、金峰山に登る。
七月七日、甲斐国の雪取山に登る。
七月二十日、駿河の不二山に登る。
七月三十日、伊豆国の天上山に登り、弁天女像一尊を安置せり。
更に、八月十一日、駿河国に至りて、愛鷹山に登る。
十月一日、甲斐国の身延山に登る。
十一月一日、信濃国の木層山に登り、天竜川を下りて遠江国に至り、秋葉山に登れり。時は、白鳳丙子二月なり。
十七日、三河国の鳳来山に登る。
三月十一日、美濃国の伊那山に登る。中津より木層川を下り流れ、尾張国に出でぬ。
五月一日、伊勢国の矢頭山に登る。
六月一日、大和国の室生山に入山。更に高見山・白髪岳に登る。
七月一日、大峰山の窟樓に
十月二十六日、門弟ども大峰の𡸴岨の頂に岩窟を作りぬ。丁丑の三月、役小角・唐小摩、共に孔雀王・不動王坐象を刻みて、その岩窟中に安置す。
七月三十日。金剛不壊摩訶如来・金剛藏王尊像を、佛師玄理の息子玄隆、全てを終りぬ。時に、小角は玄理等に田地若干を授けり。
戊寅二月。
己卯六月。小摩、また唐に
九月、照覚は天海上人を、行喜は慧便上人を、笠置山に於いてそれぞれ供養す。
己卯十二月、天覚僧は大峰山窟に入滅す。小角・唐小摩、大いに悲しみて埋葬す。
庚辰の四月十二日。
伊豆大嶋に流罪
辛巳二月。役小角は當麻寺の建立祭に参じ、玄奘訳経二百巻を奉納せんとす。是に於いて、小摩は大いに怒れり。小角を止留して曰く「汝は、我が師なり。然れども、我よりは若年、納事
壬午の三月十六日。小摩、大病せり。役小角は大いに心痛し、神佛の大慈悲を祈願す。程
七月、小角は門弟等に曰く「御酒二杯を、これ赦さん。又、一月一度魚肉一匹を赦さん。」
癸未の四月一日、役小角、入唐せんと欲す。是に於いて、小摩は是を留む。
六月。役小角、葛城郷に水田を開く。留水池を
甲申の十月四日。天地神に怒り有りて、震動し寺塔を大破す。役小角、是に於いて、飛鳥朝庭に本地垂迹大要を奏請したり。然るに朝庭、是を聞き入れず。
乙酉三月。朝庭より、佛舎・民家作り置きの勅令、弘布せらる。小摩・小角、大いに喜びて、修験宗大要を弘布す。然れども、宮中より禁令有りて、役小角・唐小摩・大祥・小祥ともに、朱鳥丙戌七月、伊豆大嶋に流罪となれり。
朱鳥丁亥九月、智隆僧
二月十二日、小角一同出獄す。
岩橋
四月一日、大峰山に
七月。葛城山に
己丑三月、祖父高賀茂、貧血病にて入寂す。小角・千代君、大いに悲しみ涙す。時に、小角は、昇天輝光往生論一巻を口説し、小摩に是を書せしむ。
庚寅二月、役小角・小摩、共に入唐せんと欲す。この時、小角の親母千代君は重病となり、入唐は成らず。小角、仙薬を以て、母千代君の病を全治せしめんとす。
辛卯六月、千代君は全治し、當麻寺に入りぬ。時に、小角は森林の材木を奉じて當麻寺に納めり。
壬辰一月吉日。和泉国に生まれし、難波四天王寺の修行若僧なる行基は、役小角より本地垂迹論経を教えられたり。時に、行基は二十三歳なり。行基、大いに悦び、是を学ぶこと懸命なり。
癸巳三月、役小角は門弟を諸山の道場に置いて住まわしむ。
七月十二日。弟子、諸山より集まり、大峰山にて、木火土金水術、また仙薬法等を教導せられぬ。本地垂迹起源も教えられり。門弟一同は皆大いに喜び、修するに懸命なり。
是に於いて、小角は、萬民の往来安全を為さんとす。常に葛城山・金峰山の間は険路にして使者多く、毎年惱みいたり。
前鬼・後鬼・一言主神・諸神等を呼びて「なんじら、葛城山より大峰山・金峰山・金剛山等に至る𡸴路を開け。又、𡸴谷に岩橋を架ける可し。
小角は大いに怒りて、一言主神を呼び、叱りて吩咐すれども、一言主神これに應ぜず。小角は諸山主神を召して、大いに怒りて曰く「汝等、我が命に逆らわんとするか。何故に橋造りの行道を怠けるや。」諸山主神の曰く「かの一言主神は白昼に出告するを厭いて、我徒は夜のみ橋造る可く、故に岩橋成就は遅れたるなり。」
小角は更に一言主神を呼びて、大いに怒りて責叱す。その時に、一言主神の曰く「我は葛城山に
小角、一言主神の両腕を縛り、誓いて云えり「将来、我が神道に修験者有らば、汝の此の縛索は解けることを得ん。若し我が神通者
小角、以って呪縛し洞川西谷に落としめ、岩窟獄に藤纏を以て縛りたり。この時、親なる女神は遠山に逃げぬ。時は、朱鳥甲午の三月末日なり。
四月十二日。唐小摩は国字を以て、大天竺国・大唐国・豊秋國三國修験宗起源経を謹書す。