大師役小角一代 その3

金剛不壊摩訶如来

十一月。入唐にっとうせし僧道文より、経紙・涅槃衣・遺骨壺・経筒等を授かれり。役小角、大いに喜ぶ。

白鳳壬申。役小角、最も高き大峰の𡸴岨に登れり。断食苦行すること百日を過ぎて、未だ下山せず。更に百日、苦行す。時に、役小角、未だ開悟せず。神眼岩に於いて荒岩の金剛坐を作り、諸経を百日間誦し、夜昼勤行す。鬼神の如くあり、身体は骸骨に同じなり。

十一月一日夜。虚空に七色の光明現れ、伎楽天女の精なる讃美歌、幽かに来たれるを聞けり。蓮華の花舞い降り、虚空に微妙みみょうなる声有り。

「汝の苦行は、諸仙の仙人行にも優れたり。天竺・唐土の佛陀も、汝の験に及ばず。諸佛は天竺・支那に駐留とどまらずして、東来して汝の霊山に来たらむ。佛は汝の身辺を離れず、阿𧂭多羅三藐三菩提を授けん。汝は、未来において、輝光極楽国・九品上生に導かれん。玉台に荘厳して諸佛と半坐を分け、美しき天女の音楽・讃歌を聞き、御竉愛を受けん。

輝光極楽には七重の欗楯らんじゅん有り、七宝の羅網らもう有り、七宝の行樹有り。皆是れ四宝を以て匝周そうしゅう囲繞いにょうす。又、七宝池有りて、八功徳水その中に充満せり。池底は、純なる金砂を以て地布す。その四辺には階道有りて、金・銀・瑠璃るり玻瓈はりを以て合成す。上には樓閣有りて、亦、金・銀・瑠璃・玻瓈・赤珠・碼碯めのうを以て厳飾す。池中に蓮華花の大車輪の如き有りて、赤・青・緑・白・紫・金色・銀色の光明を常に放ちて、微妙香潔みみょうこうけつなり。亦、天女は常に天楽を作りて、曼荼羅華の雨を降らせり。

また、極楽には、奇妙なる種々くさぐさの雑色鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽かりょうびんが・共命鳥なり。是のもろもろの鳥は常に和やかなる雅音を発し、亦、天空天河に金・銀・黒の七色の光を発し、常に天童と遊ぶなり。七重の滝は金・銀の七色を発して、(・・文章欠落・・)佛女これなり。」

小角、合掌九拝して、奏上す。「我如き凡夫は、微妙みみょうなる法にうこと百千萬難し。是に遇い奉りて、上の願いなり、御尊姿に拝観せしむるを得させ給え。」

この時、四辺は七色に輝照し、金雲の上に現れたるは、大日如来・阿弥陀如来・阿閦あしゅく如来・薬師如来、及び、諸々の観音・明王菩薩・天部等を伴いて、五智宝冠を戴き、左手の刀剣は施无畏せむいの御印相にして、右手は誅魔の御印相、御足の左は半迦をなして猛き獅子の頭頂を踏み、八葉蓮華台の御坐に白象を背負いたる台坐にある佛なり。妙微なる音聲おんじょうを発して曰く、「大宇宙百千萬億界の神佛を修成せし金剛不壊摩訶如来佛と号すべし。是の姿は本地なり。汝、また垂地尊と曰うを感得するべし。」如来は再び金雲中に入り、光明と共に消え去りたるなり。

小角、夢の如き実相を大いに喜び、その尊身を刻まんと欲す。𡸴岨大峰を下り、飛鳥の都に至りぬ。佛師なるは、鳥孫頼の仆利・玄理の両人とせり。この時、仆利仏師は百十九歳の長命なりし。又、玄理は八十二歳の老人なり。両人は、全身の心力を以て千刀造作す。然れども、仆利は荒刻の内に命を亡くせり。時は、白鳳癸酉の四月三十日なり。

金剛藏王権現

五月、大和国の當麻寺に、役小角は田畑地を奉納す。母千代君尼の住む寺なり。

十月、小角、飛行術を感得す。大唐の竜虎山道士、亜司、来朝す。道教木火土金水陰陽伝法書を、役小角は受けたり。

甲戌の一月元日。役小角、更に諸山の𡸴岨苦行を欲す。山城国の鷹峰に向い、行檀を鷲峰山に構え、金胎寺を開けり。この時、小角、衆生の三世救世の為めに、諸佛に祈念すること十七日間。夜昼に忘れることなく諸行を誦すること満七日目の暁に、六道地蔵菩薩、現れたり。

小角、大いに怒りて、「箇様なる柔軟な相では、末世の慾悪に、化度し給うことを得ず。消え去る可し。」捉えてちゃくせる時、地蔵菩薩は遙か伯耆国の大山に飛んで消えぬ。

役小角、その後十七日間、諸経呪を誦せり。時に、弥勒菩薩現れたり。小角、亦怒り、利剣を以てはらいぬ。役小角、又、三七二十一日の勤行をなす。この時、大日如来・薬師如来・阿閦如来・阿弥陀如来の四佛、現れたり。小角、是の佛を送り給いぬ。

小角、再び大峰の大𡸴岨に登り、立行・眼瞳・歯食切をなすこと三十一日間、諸経及び仙術呪を誦すること六十日間。孔雀王呪をなせる時、金剛不壊摩訶如来、現われたり。

同じ時にして、𡸴岨の最大なる奇岩、大音響と共に摧落す。四方に土煙発し、溟濛たる闇に稲妻大震動なし、谷間谷間に山鳴あり。山々の大巨岩は碎け、落乱すること長刻の間なり。

次にして、薄闇となりて鳴動は止み、忽然と天地の闇の寂浄となる時、雲際に嶄然さんぜん屹立きつりつせし大忿怒の姿あり。左手は剣印を結びて腰部に托し、右手は三股杵を把て、火炎中に立ちたり。左足は天空を踏み、右足は大奇岩を踏む。金剛不壊摩訶如来の全く異なる姿にて、是れ即ち金剛藏王権現なり。

小角、大いに喜びて九拝し、「この末世濁悪の凡夫を化度し給う本尊なり。」柘楠木を以て尊像を刻み、金峰山の釈迦窟に安置す。日夜に勤行敬拝せり。時に、唐小摩も大いに喜び、修験宗本地垂地現明一巻を書き記す。時は、白鳳乙亥の四月十二日なり。

諸山苦行

五月一日。役小角・小摩・大祥・小祥・大角、共に諸山苦行に出ず。

五月十日、近江国御在所山、三国岳に登る。

五月二十一日、美濃国に穗高山・大天井岳に登る。

六月七日、四阿山・浅間山に登る。

六月二十一日、荒船山・甲武信岳に登る。

六月三十日、金峰山に登る。

七月七日、甲斐国の雪取山に登る。

七月二十日、駿河の不二山に登る。

七月三十日、伊豆国の天上山に登り、弁天女像一尊を安置せり。

更に、八月十一日、駿河国に至りて、愛鷹山に登る。

十月一日、甲斐国の身延山に登る。

十一月一日、信濃国の木層山に登り、天竜川を下りて遠江国に至り、秋葉山に登れり。時は、白鳳丙子二月なり。

十七日、三河国の鳳来山に登る。

三月十一日、美濃国の伊那山に登る。中津より木層川を下り流れ、尾張国に出でぬ。

五月一日、伊勢国の矢頭山に登る。

六月一日、大和国の室生山に入山。更に高見山・白髪岳に登る。

七月一日、大峰山の窟樓にかえり来たれり。

十月二十六日、門弟ども大峰の𡸴岨の頂に岩窟を作りぬ。丁丑の三月、役小角・唐小摩、共に孔雀王・不動王坐象を刻みて、その岩窟中に安置す。

七月三十日。金剛不壊摩訶如来・金剛藏王尊像を、佛師玄理の息子玄隆、全てを終りぬ。時に、小角は玄理等に田地若干を授けり。

戊寅二月。皈朝きちょうせし定慧僧より聞くに、孔丹僧入寂の報あり。小角・小摩、共に悲涙し、楠木を以て孔丹僧像を行者窟に安置し供養す。

己卯六月。小摩、また唐にかえらんと欲す。小角、大いに怒りて曰く「佛勅、逆う可からず。」

九月、照覚は天海上人を、行喜は慧便上人を、笠置山に於いてそれぞれ供養す。

己卯十二月、天覚僧は大峰山窟に入滅す。小角・唐小摩、大いに悲しみて埋葬す。

庚辰の四月十二日。ひつけ者ありて橘寺炎上す。この時、飛鳥宮中の寺守・政所、各々寺々に付したる寺閣守に勅令あり。小角、大いに同感す。

伊豆大嶋に流罪

辛巳二月。役小角は當麻寺の建立祭に参じ、玄奘訳経二百巻を奉納せんとす。是に於いて、小摩は大いに怒れり。小角を止留して曰く「汝は、我が師なり。然れども、我よりは若年、納事无用むようなり。」役小角、是に於いて「汝は我が身に瓦積せしめて、法教を流布するし。心怒らずに、納下す可し。」小摩は心に逆いながらも同意せり。

壬午の三月十六日。小摩、大病せり。役小角は大いに心痛し、神佛の大慈悲を祈願す。程く全治し、小摩大いに喜びて、涙ながらに金剛両佛等を拝せり。

七月、小角は門弟等に曰く「御酒二杯を、これ赦さん。又、一月一度魚肉一匹を赦さん。」

癸未の四月一日、役小角、入唐せんと欲す。是に於いて、小摩は是を留む。

六月。役小角、葛城郷に水田を開く。留水池をつくりて水田を用作せしむ。前鬼一同も是にあり。小角は大いに喜びて百姓を救いぬ。

甲申の十月四日。天地神に怒り有りて、震動し寺塔を大破す。役小角、是に於いて、飛鳥朝庭に本地垂迹大要を奏請したり。然るに朝庭、是を聞き入れず。

乙酉三月。朝庭より、佛舎・民家作り置きの勅令、弘布せらる。小摩・小角、大いに喜びて、修験宗大要を弘布す。然れども、宮中より禁令有りて、役小角・唐小摩・大祥・小祥ともに、朱鳥丙戌七月、伊豆大嶋に流罪となれり。

朱鳥丁亥九月、智隆僧皈朝きちょうし、小角配罪の報を聞く。十月、千代君と共に放免を奏請す。戌子正月、是を赦す。勅使を大嶋に立てり。

二月十二日、小角一同出獄す。

岩橋

四月一日、大峰山にかえりぬ。小摩・小角、金峰山に入山し、悪政降伏護摩修法をなせり。

七月。葛城山に雨祈あまごいの修法す。雨降りて、萬民大いに喜べり。信者大勢、金剛藏王尊に来拝せり。世間に、役小角を知らぬ者とてはし。

己丑三月、祖父高賀茂、貧血病にて入寂す。小角・千代君、大いに悲しみ涙す。時に、小角は、昇天輝光往生論一巻を口説し、小摩に是を書せしむ。

庚寅二月、役小角・小摩、共に入唐せんと欲す。この時、小角の親母千代君は重病となり、入唐は成らず。小角、仙薬を以て、母千代君の病を全治せしめんとす。

辛卯六月、千代君は全治し、當麻寺に入りぬ。時に、小角は森林の材木を奉じて當麻寺に納めり。

壬辰一月吉日。和泉国に生まれし、難波四天王寺の修行若僧なる行基は、役小角より本地垂迹論経を教えられたり。時に、行基は二十三歳なり。行基、大いに悦び、是を学ぶこと懸命なり。

癸巳三月、役小角は門弟を諸山の道場に置いて住まわしむ。

七月十二日。弟子、諸山より集まり、大峰山にて、木火土金水術、また仙薬法等を教導せられぬ。本地垂迹起源も教えられり。門弟一同は皆大いに喜び、修するに懸命なり。

是に於いて、小角は、萬民の往来安全を為さんとす。常に葛城山・金峰山の間は険路にして使者多く、毎年惱みいたり。ようやくにして行わんとす。

前鬼・後鬼・一言主神・諸神等を呼びて「なんじら、葛城山より大峰山・金峰山・金剛山等に至る𡸴路を開け。又、𡸴谷に岩橋を架ける可し。吩咐ふんぷせよ。」

ここに、諸山の主神は其の令に従いて、巨岩を運びたり。一月満ちて、前鬼・後鬼は、大峰山・金峰山の間の𡸴路を作り上げり。一言主神は、金剛山・葛城山の間の𡸴路を未だに出来上げずにおりぬ。小角は不審に想いなして、前鬼を呼びて其の内分を尋ねしに、前鬼答えて「彼の一言主神は、其の形容甚だ醜し。白昼に出告するを恥じて、諸々の山主神に、白昼働く事を禁じたれり。常にして夜毎に少時間のみ勤動するなり。是れに依りて、岩橋の成就遅くなりぬ。常に非ず、渉らざらん。」

小角は大いに怒りて、一言主神を呼び、叱りて吩咐すれども、一言主神これに應ぜず。小角は諸山主神を召して、大いに怒りて曰く「汝等、我が命に逆らわんとするか。何故に橋造りの行道を怠けるや。」諸山主神の曰く「かの一言主神は白昼に出告するを厭いて、我徒は夜のみ橋造る可く、故に岩橋成就は遅れたるなり。」

小角は更に一言主神を呼びて、大いに怒りて責叱す。その時に、一言主神の曰く「我は葛城山にかえらむ。前鬼の如くには、我は業成に勤められず。我は暇ならず。」遂に小角、大いに怒りて「邪神奴め。我は、汝如き者の師には有らず。」

小角、一言主神の両腕を縛り、誓いて云えり「将来、我が神道に修験者有らば、汝の此の縛索は解けることを得ん。若し我が神通者くば、五十六億七千萬年後の時に、弥勒世に出でて、汝を解くことあらん。」

小角、以って呪縛し洞川西谷に落としめ、岩窟獄に藤纏を以て縛りたり。この時、親なる女神は遠山に逃げぬ。時は、朱鳥甲午の三月末日なり。

四月十二日。唐小摩は国字を以て、大天竺国・大唐国・豊秋國三國修験宗起源経を謹書す。